ブルジョワジーの日常を描いた「草上の昼食」|マネ&モネ

  印象派は科学の発達に最も恵まれた画家グループに属するでしょう。初期フランドル派のヤン・ファン・エイク(Jan Van Eyck,1395年頃-1441年)兄弟が油絵の具を開発して以来、従来のフレスコ(fresco)やテンペラ(tempera)を使った絵は欧米美術から姿を消しました。油絵の具は既存の絵具より遥かに改善はしたものの豚や牛の膀胱の中に保存して使っていました。野外で絵を描くのはとても不便です。

  思い浮かべてください。動物のおしっこ袋を両手いっぱいに持って野原の風景を描いている場面を。どうしても限界がありますね。私たちが馴染んでいるチューブ入りの絵具が生産できたのは1824年チューブを発明したイギリスのニュートンが顔料技術者ウィンザー(Winser)と手を結んで開発したものです。印象派の画家たちが外光派になったのは携帯しやすいチューブ入りの絵具があったからこその話です。

  印象派に影響を与えたのは絵具の発達だけではありません。写真技術の発達は、比例に合う人物画や宗教画を描いていた美術界を脅かしました。対象の見えるままの姿をキャンバスに写すだけでは、美術はもはや生き残れなくなったのです。そこで必要になったのは、写真とは異なる画家の独特な視線が、印象が、その魂の写しでした。

  フランス革命や産業革命の成功も欠かせないでしょう。資本を蓄積できた中産階層の発達も印象派の出現に大きな影響を与えました。中産階層の間では、印象派画家を支援し、彼らの絵を買って家に飾ったりすることが一つのレジャーになりました。そのため、印象派の絵には都市生活の余暇、消費、見物などが描かれました。宗教画や人物画のように、買い手の目的に合わせて絵を書くというよりも、画家自身が描きたいものを描いてそれを展示会で売るようになったのです。

  それでは、印象派の始まりを告げる作品であるエドゥアール・マネの「草上の昼食」と、彼を尊敬した光の画家、クロード・モネの「草上の昼食」を観てください。

 

 エドゥアール・マネの「草上の昼食」

Le déjeuner sur l'herbe (Luncheon on the Grass),  oil on canvas,  Édouard Manet, 1863  © Musée d'Orsay, Paris  http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fc/%C3%89douard_Manet_-_Le_D%C3%A9jeuner_sur_l'herbe.jpg
Le déjeuner sur l’herbe (Luncheon on the Grass),
oil on canvas, 
Édouard Manet, 1863
© Musée d’Orsay, Paris 

 

クロード・モネの「草上の昼食」 

Le Dejeuner sur l'Herbe(Lunchen on the Grass) Oil on Canvas,248×217 Claud Monet, 1865-1866 © Musée d'Orsay,  http://www.wallhogs.com/images/products/orig/2438.jpg
Le Dejeuner sur l’Herbe(Lunchen on the Grass)
Oil on Canvas,248×217
Claud Monet, 1865-1866
©Pushkin Museum

 

  1860年代に新しく現れた都市のブルジョワジー の余暇文化の一つは果物とパイとワインを持って公園に出かけることでした。マネの1863年作「草上の昼食(マネ、オルセー美術館)」も都市の日曜日の一場面が描かれています。また、マネを超えるために同じ題名の絵を描いたモネの絵にも、裕福な中産階層の日曜日のピクニックを描いています。題目もマネと同じ「草上の昼食」ですが、雰囲気はまったく違って見えますね。

  モネの絵に描かれている男の背広やドレスの裾に青い空の色が落ちています。実際の野外に出て事物を見ると一つの形態が別の物に影響を与えているように見えますね。色や境界などが紛らしく見えるのはその光のせいです。印象派の画家たちは写真の機械的なリアリティーを克服し、絵具で表せるリアリティーを工夫しました。都市の富裕層は彼らの富と教養を誇示するため芸術家を後援し、印象派はブルジョワのために彼らの姿を自分が見た風景を自由に表現しました。

  マネの「草上の昼食」は、古典主義の伝統に従っていた当時の美術業界で大きな反響を呼びました。かしこまった紳士たちの間でこちらを見つめる全裸の女性を見てみましょう。彼女は、ルネサンス時代の画家が描いたように美化されていません。彼女だけではありません。登場人物は皆、歴史や神話の中の人物ではなく、当時を生きた人たちの姿です。マネは、クルーベの写実主義のように女性の裸を神話的なもので包まず、赤裸々に描いています。当時の美術界においては、日常的な場面が絵画の対象になるということは、非常に衝撃的な出来事だったのす。

  写実主義の絵も描けたはずのマネがこのような絵を描いた理由は、首都改造により享楽的かつ退廃的に変わってしまったパリへの警告でした。当時のパリの上流階級の男性たちは、一見紳士的に着飾って規範を守りましたが、夜は女遊びに夢中になるといった偽善的な二重生活を楽しんでいたそうです。マネはこのような現実を、「草上の昼食」を通して皮肉しているのです。実際、絵の中に登場する女性たちは、売春婦だったようです。

  反面、モネは「自然」に注目します。明るい光とその中の風景に興味を持っていたモネは、マネの光と影の対比をより一層強調させて絵を描いています。出品用に描かれたこの作品は、結局未完成のまま長い間世に公開されませんでした。マネのように裕福な家庭で生まれなかったモネが、未完成の絵を何か月の家賃の代わりに預けたからです。何年後この絵を取り戻した時には、もうこの絵は大きく破損され、一部しか残っていなかったそうです。サロン出品用に準備していた「草上の昼食」の左と中央の部分のみが残されて、オルセー美術館に展示されています。(このブログで載せているのは、サロン出品用の前に小さなカンヴァスで描いた「草上の昼食」です。)その家主が今日のモネの絵の値段を知っていたら悔しくて眠れないでしょうね。(笑)

  私は個人的に、少しアカデミックに見えるマネの絵よりモネの絵に心を打たれます。人物が自然と一体化され、素朴な幸せが感じられます。分析を好み論理的だったマネの絵とは違ってモネの絵からは流れては行き来する光線の毎瞬間の印象が映されています。そしてモネの目を通じて私1865年のパリの公園でのピクニックを眺めるのです。

  ああ、今日のように晴天が広がり、桜の花びらがひらひらと落ちる日は彼らのようにピクニックに出かけたいですね。ワインの代わりにお茶を、クッキーの代わりにおにぎりを持って。私のお茶には薄いピンク色の花びらが落ちては浮かぶでしょう。私は見るに忍びなくってその茶を飲まずに微笑むでしょう。幸せに…穏やかに…

  4月の晴れた今日、花びらが地天です。道の上にも、止めている車の上にも…
花の雨が降り注ぎ、世の中が皆桜です。とても特別な目を持ったモネの視線が恋しくなる日です。

 

こちらもあります↓

春をまとったモネの「散歩、日傘を差す女性」

ブルジョワジーの日常を描いた「草上の昼食」|マネ&モネ” への3件のフィードバック

  1. モネやマネの絵を比較してみるのもいいのかな?私はモネの水連と池の連作が好きです。

  2. […] マネが「草上の昼食」で大きく非難を浴びた年のサロンで高い評価を得た「ヴィーナスの誕生」。ギリシア神話の愛と美の女神ヴィーナスが海の泡から生まれた誕生の場面が描かれています。目を半ば開いたヴィーナスの朦朧とした表情は、官能的で魅惑的ですね。19世紀のアカデミック絵画を代表するこの作品により、ガバネルは富と名声を手に入れるようになります。印象派グループの作品をサロンで落としていったガバネルの作品が、今となっては、彼が批判していた印象派画家たちと同時代に成功をおさめた例ということで注目されるのですから、アイロニーですね。 […]

  3. 絵の見るべきポイントがわかりやすく説明されてあり大変勉強になりました。ありがとうございます。

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